甚平や服を縫って作ってくれた

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甚平を縫う為の裁縫道具

甚平や服を手作りして、遊ぶ時に着させてくれた思い出

おばあちゃんは料理はもちろん、畑仕事やお菓子作り、そして裁縫まで、なんでもできる人だった。なので、私が泊まりに行ったときに、遊びやすい格好になるようにと甚平や服を手作りしてくれることもあった。

手作りの服は、まるで魔法のようだった。普段は製品化された服しか着ていなかったし、服そのものが人の手では作れないと思っていたからだ。そのおばあちゃんが作った服とそれにまつわる思い出についても、振り返って行こうと思う。

手作りの甚平は動きやすくてカッコよかった

甚平を初めて着た日

普段の生活では、洋服ばかりを着ていた。和服を着る機会は、皆無だったと言ってもいいかもしれない。なので、和服というものに馴染みが全くなかった。そんな中、おばあちゃんが作ってくれた甚平を初めて着た日、とても不思議な感覚がした。

最初は洋服とは違って、ゆったりとしすぎている着心地に違和感を覚えていた。でも、甚平を着て走り回っていると、そのゆるさや通気性などを体感し、甚平がどんどん気に入ってきた。甚平は一着しか無かったので毎日着るわけにはいかなかったが、洗濯ができたら率先してそれを着ていた。

同じ和服でも、浴衣などになると動きにくさや着にくさがある。その点で、甚平の手軽さは子供時代の私にとってちょうど良いスタイルの和服だったと思う。その点も、おばあちゃんは考慮していたのだろう。

夏祭りに着て行った

おばあちゃんが作ってくれた甚平は、夏祭りにも着て行った。むしろ、おばあちゃんは普段着というよりも、夏祭りに映えるようにと思って、手作りをしてくれたらしい。

夏祭りでは、金魚すくいや射的などをしたが、その時にも甚平を着ていたから動きやすかったのを今更ながら感じる。動きやすさがあったからといって、金魚すくいや射的で大活躍した、というわけではないが、甚平を着ていたので、それら祭りの遊びをストレスフリーで感じ取れていた。

それに、お祭りに来ている他の子供達も浴衣や甚平を着ていたので、作ってくれた甚平を着ていることで、より一層その夏祭りに馴染むことができたのも良かった点だ。

おそらく、都会から出てきたままの洋服で夏祭りに行っていれば、微妙な疎外感を感じていたかもしれないが、甚平のお陰でその疎外感は全くなかった。

おばあちゃんは、普段に着る洋服も作ってくれた

シンプルな作りの洋服は私のお気に入りだった

おばあちゃんは、甚平だけを作るのが得意だったのではない。洋服も縫うことができた。手作りの服なので、売られているような服ほどの完成度はないが、それでも子供の服として着る分には全く不都合がないくらいの腕だった。

特におばあちゃんが作る洋服は、シンプルだったのが特徴的だ。ポンチョのような頭からすっぽりとかぶるタイプの服や、用途を問わずに着れるTシャツなど、子供ながらに着やすいものであった。身近にある生地を使って作る技術は、おそらく、昔の物に恵まれていなかった時代を生きた、おばあちゃんなりの生活技術だったのではないかと思う。

これらおばあちゃんが裁縫で作ってくれた服たちは、私としてはとてもお気に入りで、自宅から持参した服よりも優先して着ていた記憶がある。それだけ見た目的にも、そして機能的にも、私に合ったものをおばあちゃんは作ってくれていたのだろう。

ヒーローのアップリケを付ける遊び心もあるのが嬉しかった

おばあちゃんの家に泊まっている間は、いろんな遊びをしていた。そしてその遊びをしている際に、転ぶなどしてズボンが破けることもあった。

そんな時は、おばあちゃんがヒーローのアップリケを付けて縫い合わせてくれるなど、遊び心を持って裁縫をしてくれたのも嬉しかった。

子供時代は、やはり誰しもヒーローに憧れる。そして、そのヒーローが近くに居てほしいと思うものである。なので、アップリケだったとしても、ヒーローが自分の服に居ることは、なぜか心がワクワクした。そして、なぜかそのアップリケがついただけで、自分もヒーローのように強くなったような気さえした。

アップリケを付けてくれるのが嬉しくて、「遊んでる最中に、またズボンが破けないかな」なんて思うこともあった。おばあちゃんの仕事を増やしてしまうことだけれども、それだけアップリケをつけてくれることが、当時の自分としては嬉しかったのだろう。

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